2008年8月10日放送

ザ・スクープスペシャル
  

<特集1>  「終戦翌日に何が?特攻隊員ら111人死亡…特攻艇“震洋”の悲劇」

昭和20年8月16日。終戦の翌日、高知県・住吉海岸で謎の大爆発が発生。
特攻隊員ら111人が死亡するという悲劇が起こった。爆発したのは海軍の水上特攻艇
「震洋」。小型のベニヤ板製モーターボートの艇首部に爆薬を搭載し、搭乗員が乗り込んで
操縦。上陸を図る敵艦に体当たりするという日本軍の水上特攻兵器だった。
終戦時には本土決戦に対する備えとして4000隻近くが実戦配備についていた。

こうした状況のなか、終戦の翌日に起こったナゾの「大爆発」、はたして事故だったのか?
それとも何らかの「不測の事態」が突然起きたのか?
戦争が終わっていたはずのその時、現場でいったい何があったのか…。
番組ではその真相を総力追跡。関係者の多くが故人となるなか、数少ない存命搭乗員に
取材。初めて明らかにされた「真実」とは…。

さらに悲劇的な運命を迎えた特攻艇「震洋」関係者証言を積み重ね、現存する数々の
資料を読み解き、今なお現場に残る痕跡等を検証することによって、知られざる
「もう一つの神風特攻隊」の悲劇を追うとともに、終戦の大混乱のなかでいわば
<歴史の影>として封印され続けてきた「ことの真相」に迫る。


<特集2> 「追跡…消えた“被爆浦上天主堂・保存計画” 63年目の真実」

被爆国日本の象徴として世界文化遺産にも登録された、広島の「原爆ドーム」。
しかし同じく原爆が投下され7万人以上が亡くなった長崎でも、被爆した教会・浦上天主堂の
廃墟を「悲劇の象徴」として、そのままの形で残そうとした動きがあったことを知る人は少ない。
昭和24年に発足した原爆資料保存委員会は、戦争の記憶と記録を残すため被爆したマリア
像などを含む「一連の天主堂廃墟保存」の結論を打ち出しており、昭和26年から4期16年、
長崎市長を務めた田川務氏も廃墟を残す方針を表明していた。

しかし昭和31年・市長の訪米をきっかけに事態は急転する…。廃墟を残すとしていた市長が
アメリカから帰国後「(天主堂の廃墟は)原爆の悲惨さを証明すべき資料には絶対ならない」
と方針を一転したのだ。その結果、昭和33年、天主堂廃墟は建替えのため取り壊された。
市長の訪米中に、いったい何があったのか?そして背景に見え隠れする、冷戦下における
アメリカの「ある思惑」とは…。

番組では、被爆した天主堂がなぜ「悲劇の象徴」として残されなかったのか?
なぜ「負の歴史」を語り継ぐ遺産は失われてしまったのか?その謎を総力取材。
鳥越俊太郎がアメリカに飛び、関係者への取材を重ねて、「ことの真相」を追跡。
また、数少なくなった存命中の関係者にもインタビュー。
さらに数々の文書・資料を読み解くことを通じて、冷戦下のアメリカの「思惑」と、
これまで封印されてきた「歴史の悲劇」に迫る。


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