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#771
2021年5月9日

三宅裕司さんとテレビ(後編)

【番組司会】寺崎貴司(テレビ朝日アナウンサー)
      八木麻紗子(テレビ朝日アナウンサー)
【ゲスト】三宅裕司
【VTR】伊東四朗 立川志の輔
【ナレーター】田中萌(テレビ朝日アナウンサー)
1979年 劇団「スーパー・エキセントリック・シアター」を旗揚げ。
座長、TV番組司会者、役者など長年にわたり幅広く芸能活動を続けている三宅裕司さんに、喜劇、そしてテレビや芸能界のことを伺う後編。


<テレビの仕事をするきっかけ>
売り込む為にニッポン放送のディレクターとプロデューサーに向け、1番大きなスタジオで公演を行った。


その成果あって「S.E.T.劇場」という小さなコーナーをもらえる。
1983年「高橋幸宏のオールナイトニッポン」(ニッポン放送)にレギュラー出演。
1984年の「三宅裕司のヤングパラダイス」(ニッポン放送)につながっていった。

同年のテレビ1984年「サザンの勝手にナイトあっ!う○こついてる」(日本テレビ)に抜擢され、桑田佳祐、サザンオールスターズとコントをやっていた。


【VTR 伊東四朗】
1984年「いい加減にします!」(日本テレビ)にて、(三宅裕司が憧れていた伊東四朗と)初共演。
伊東四朗が多忙でリハができないまま本番となったが、とてもうまくいった。
三宅裕司が落研出身とのちに伺い納得。
忘れられないコントは「セリフの途中で歌になっていく」ネタ。
とても難しかったが今でも覚えている。



<伊東四朗とのテレビ初共演>
テレビで見ていた大スターとの共演に本当の自分の良さがなかなか出せない。
伊東がそれを察して「好きなようにやっていいから。」と言われ吹っ切れた。

<テレビの中の笑いの変化>
「演じる笑い」から「生き様を見せる笑い」にかわってきたと思う。

「8時だョ!全員集合」(1969~85年・TBS)は1週間リハーサルして本番1日。作り込む時間がかかる「演じる笑い」。

しかし、「オレたちひょうきん族」(1981~89年・フジテレビ)に視聴率で抜かれ、テレビの「笑い」が変わっていったと思う。

失敗しても裏が見えてもいい、芸人のトーク力などその場の面白さがウケる時代になっていった。
現在はさらに加速し芸人のリアリティまでを曝け出す、「生き様を見せる笑い」になっている。
そんな今だからこそ自分は「舞台で演じる笑いで最高峰のものを作ろう」と思っている。



<最近見るテレビ>
お笑いのネタ番組は、今の笑いを知る上でよく見る。
好きな芸人は「サンドウィッチマン」。
古典落語のようにツッコミの言葉選びが良い。
他には、ニュース番組やドキュメンタリーを見てコントのドラマ作りの参考にしている。



<テレビとは>
大衆の中にある映像・笑い・ドラマであってほしい。